コンプライアンスとは英語で(要求や命令への)応諾・遵守を意味します。
難しく聞こえますが、日常この言葉を使う場合は専門家を除き、正確な学問的定義を覚えなくても大丈夫です。「国や市民からの要請や経営上のルールを守り、社会や顧客、従業員などに対して責任を果たすこと」が実務的なコンプライアンスの意味だと理解して下さい。
つまりルールを破った場合はもちろんのこと、明文化された規則や当事者による故意の意図が無かった場合でも、結果として社会通念上相応しくない行為がなされた場合にはコンプライアンス違反と見なされます。
このように、コンプライアンスとは何ら難解なものではありません。この文を読んで「何かすごい解説がされているのかと思ったが、あたりまえのことが書いてあるだけだ」などと拍子抜けしないで下さい。この「あたりまえのことが守られない」ということこそが非常に問題なのです。
(その他はコンプライアンス違反や事件の事例・関連情報一覧(報道リスト)をご覧下さい)
現実には複数の要因が複雑に絡み合ってコンプライアンス違反が起こりますが、それらのもととなる根本的な背景には以下のようなものがあります。
コンプライアンス違反を起こす組織には、以下のような傾向が見られます。
現在、コンプライアンスを実現させるための対策として様々な仕掛けやツールが提供・導入されていますが、その多くは規則やシステム導入など「仕組み」によるものが中心です。
【対応策の例】
個人の価値観によってその受け止め方も様々である「生き方論」や「道徳論」と異なり、コンプライアンスは組織として確保されるべきものです。よって、コンプライアンスを確保するために「仕組みの力」を借りることは重要です。組織として安定的かつ確実にコンプライアンスを担保させるためには、勘違いやミスを犯す人間に全てを依存すべきではないからです。
しかし、仕組みに依存しすぎるのは危険です。準拠すべき明確な法的ルールがあるものは仕組みに落とし込みやすいのでまだ良いのですが、そうでない(例:業界内における暗黙の自主規制やそれらに基づいた現場の裁量など)場合は、現場にいる人の自主的な判断に任せざるを得ないからです。
この点を考慮すると、コンプライアンスの全てを仕組みだけでカバーすることは非常に困難だといわざるを得ません。
よって、仕組みを整えた後は教育等による「人に対する働きかけ」が必須です。それも導入時に行う説明会や研修会だけで済ませるべきではなく、回数を継続させかつ回を重ねるごとに質を高めていくことが求められます。
そして、最終的には「社内規定やシステムがあるからコンプライアンス違反を起こさない」状態から「社員としてやるべきではないから、やらない」、さらに「自分の人生観や生活観に照らし合わせると当然すべきでないから(自分の生き方として)やらない」という人間の集団を作り上げねばなりません。
そして実質的には仕組み自体は使用されない状態にまで進化させていく必要があります。
現在のコンプライアンスに関する議論は「精神論」と「仕組み論」に二分されています。精神論は道徳や生き方を土台としてコンプライアンスを論じており、経済合理性の現実に生きる企業にとっては現実感をもって受け止めにくいという難点があります。また、仕組み論は先に述べたとおり、その効用に限界があります。
しかし双方の主張には妥当性があり、どちらも大切なことを我々に教えてくれています。ただ議論の出発点が異なることもあり、プラグマティズムを前提とした場合、それぞれを“別物”として扱わざるを得ず、仕組みを精神へ昇華させていくことが極めて困難といわざるを得ません。
そこで注目すべきなのが、精神論と仕組み論の間に位置する「コンプライアンス実感論」という新しい概念です。
実感論を説明をする前に、違反組織の人材について紹介します。実際にコンプライアンス違反を犯した組織にいる多数の人と接した経験から気付いた2つの特徴を紹介します。
ではそういう人達を非難できるかというと、一概には出来ません。環境破壊に反対の気持ちを持っていても、ついつい利便性を優先させてしまうような「総論賛成・各論反対行動」は誰にでもあるからです。
この誰しもが持ち合わせている習性に歯止めをかけるためには各人が「それは嫌だ」と実感することが大切です。例えば、
と想像して、感じてみればいいのです。
つまり、自分の仕事や職場での行動と自身の日常的な生活感覚を結びつけることにより、仕組みに頼らず主体的に自分の職務行動や組織内の出来事をチェックするきっかけを生み出すのです。このような視点、考え方が 「コンプライアンス実感論」 です。
コンプライアンス違反は、私たちが持っている「普通の感覚」を職場で持ち続けられれば未然に防ぎ得るものです。それは、事故直後の記者会見等で当事者が謝罪していたり、違反を起した会社の従業員への(顔を隠した)インタビューの様子を見れば、容易に想像できます。
しかし組織の論理に縛られてしまうと、その簡単なことが出来なくなります。そして、組織の論理は競争が前提の資本主義経済の中で発生します。つまり、コンプライアンスは自由競争や市場主義という価値観・行動様式を前提とした資本主義が抱える永遠の課題なのです。
コンプライアンスを「知り・考え・実践する」ということは、競争を前提とした日常の中で、自身・自分の家族と隣人、自分自身と社会との関係を突き詰めて考え行動することに他なりません。
言うまでもなく、資本主義経済は企業に利益を巡る大競争を強います。しかし、過度の経済至上主義的価値観や行動は人や社会にゆがみをもたらし、企業はいつかはその代償を支払わねばならない状況へ追い込まれます。
会社や上司から発せられる圧力に押し潰された社員は、心身ともに疲弊し、他を気遣う余裕を失い、本来持っていた「普通の人」としての健全な感覚を鈍らせていきます。そして最後には、「自分は不衛生なものを食べたくない」にも関わらず「その自分が他人が食べる食品を不衛生な状態で作る」というような背反が起こるのです。同様の背反は、業種を限らず全ての企業や組織の人に起こりうる出来事です。
経済の発達に健全な競争は不可欠です。しかし互いに競争しながらも最終的には共存していかねばならないのも事実です。このジレンマを解決するためには、
の3つが非常に大切になります。
コンプライアンスは「人」の問題です。他人事ではなく自分の問題です。人の問題は難しいし、手間がかかります。しかしそれを避け、拙速な解決策ばかりを求めてもコンプライアンス違反は防止できません。
この現実を直視すべきです。真のコンプライアンス実現には、仕組みの整備に加え、人の意識や行動の変革が欠かせません。
そして、人の意識や行動はいくら知識や理論を学んでも変わりません。
繰り返しになりますが、個人も組織も不断の努力が必要です。